非常に面白い本なのだが、読んだあと特に印象が残らないような薄さは感じた。
法人に対する営業、それもギブ&テイク(インサイダーインフォメーション)を基本とする営業スタイル。今後米国並みの直接金融に日本が変わった場合、企業は証券会社、それもガリバー証券の意のままになってしまうのではないかと思ってしまいました。
実際にこの本が書かれたのはバブル期ですが、著者はバブルの崩壊やガリバー証券の一人勝ちの時代をすでに言い当てています。後に山一證券の廃業があり、時代も着々と直接金融に移りつつある現在、今読んでも新鮮味がある本です。
古き良き、という感じ方をする向きもあろうが、扱われる内容は、現代ものとみても差し支えないほどだ。名高い親を越えられず、もがく息子。仕事場にも家庭にも居場所のない男の転落。男に捨てられようとする女がすがった嘘。新聞で読んだことのあるような、初めて聞く話でないような。教訓めいた結末も導きもなく、慶次郎も晃之助も、ばっさりと斬って捨てるような決着を選ばない。迷いをおいたまま、物語は終わり、読者へ、結末を考えてくれるように投げられてくるようだ。読みながら興奮して進む、というよりは、読んだ後の余韻に引きずられて何度も読み返し、考える。私は登場人物たちの行動や考えを、理解できているかと。
表題作の「おひで」は、天涯孤独の寮番・佐助と、身内から距離を置かれているうえに男に捨てられたばかりのおひでの、わずかな期間の心の交流が描かれている。今にたとえるならば、50すぎのオヤジと、軌道をそれた女子高生(それもアル中の)だろう。どちらも、身内の縁に薄く、尽くした相手の「一番大事なもの」になれず、居場所がないのだ。誰にも必要とされない寂しさ。おひでが酒に溺れ、最期には自分で自暴自棄になってしまったのは、そのせいだった。子供に無関心な親が多く、子供は同じ家に住んでいても孤独を覚え、夜の街に出て群れ、携帯だけでつながる親友をたくさんもつ、という昨今。江戸時代と設定しているとはいえ、変わった話だと思わない。おひでは佐助の「一番大事なもの」になれたが、佐助の喪失感は深い。年齢的に当時の平均寿命に届こうかという佐助は、また、ひとりぼっちになってしまったのだから。
また、当時の女性の状況、心情、そして今でも共通する想いなどもよく描かれており、この時代小説を豊かにしている。読んでいて、藤沢周平さんの『蝉しぐれ』を思い出した。
ただし、戦争や英雄礼賛の物語ではなく、世間の風評にとらわれず、内外の文献を調査のうえ、登場人物の力量や性格について誉めるべきところは誉め、批判すべきことは徹底的に批判することにより、この時代の人間像を過不足なく描ききっています。
作者も指摘している通り、正岡子規、秋山兄弟という一応の主人公は、この「時代」と「人間像」を描くための一つの題材にすぎません(もちろん、彼ら3名はそのそれぞれの生き方について、英雄たるにふさわしいほどの魅力を持ってはいます)
明治日本人の「生きる」ことへのひたむきさ、一方での、生き抜くために必要な合理主義的な考え方、未来を信じる楽観的な見方などは、前途に希望がもてず閉塞感がただよう現代の我々こそ、見習うべきものなのではないでしょうか。
第2部では、日清戦争から日露開戦直前までが描かれています。なぜ、十分な国力を持たない日本が、当時「世界最強の陸軍大国」と呼ばれたロシアと戦わなければならなくなったのか。そこにあるのは「国家の威信」といった抽象的な考えではなく、絶対的な力をもつ帝国主義の世界の中で「生き残る」ための悲痛な決意でした。
逆境にあって、ひるむことなく、「熱い想いと冷静な判断」によって、この無謀とも思える戦争に挑んでいく姿は、太平洋戦争前の日本の「精神主義」や現代日本の「事なかれ主義」とも異なった、自らの力で暗澹たる状況の中から一つの希望を選び取っていく決意が感じられ感動を覚えました。
また、その過程を冷静に描く司馬の筆致が、よりこの時代の空気をよく伝えているのだと思いました。